江の島について

江の島について

江の島の概要

伝説では552年4月、10日間揺れ続いた大地震により何もなかった海に忽然と江の島が姿を現したとされています。

地質学によると、7~8万年前からじわじわと海上に姿を表し、隆起を重ねて現在の姿になったと考えられています。大正12年の関東大震災でも約1mの隆起があったそうです。

一旦は独立した島になったようですが、現在では陸繋島と呼ばれる文字通り陸続きの島。干潮時には砂州(イタリア語でトンボロ)が現れ、橋の下を歩いて渡ることが出来ます。
陸繋砂州は「洲鼻」とも呼ばれ、江ノ電江ノ島駅へ続く「すばな通り」の語源にもなっています。

周囲4km、標高は60mほどの島は、行きにくさや険阻な地形を活かした修業の場でしたが、源頼朝が戦勝祈願で鳥居を奉納したのきっかけに、参拝の地として親しまれるようになり、江戸時代に流行した『大山参り』のルートとして、藤沢宿とともに発展してきました。

1902年(明治35年)には藤沢~江の島間の江ノ電も開通。(江ノ電開業120周年おめでとうございます)
1923年 関東大震災では壊滅的に被害を受けたものの、1929年には小田急江ノ島線が開通するなど当時のスピード感には驚かされます。

戦後も勢いは止まらず、

1954年 日本初近代的水族館の江ノ島水族館オープン
1959年 日本初野外エスカレーター誕生
1960年 厚木基地のアメリカ兵が、江の島のすぐお隣鵠沼海岸でサーフィンしたのが日本でのサーフィン発祥とされています。
1964年 東京オリンピックヨット競技会場

オリンピック会場として東半分を埋め立て島は1.5倍の大きさになりましたが、歴史ある霊場や景観が失われた出来事は「江の島の悲劇」と称されることもあるようです。

湘南のど真ん中、それが江の島!

「芋洗い」と敬称された夏の海水浴や、国道まで人と暴走族で埋め尽くされた大晦日~元旦の風景は、昭和を最後に見られなくなりましたが、湘南のブランド化や都心から電車1本で眼の前まで来られる利便性もあって、近年では季節や曜日にかかわらず賑わいを見せております。

江の島は江島神社

元々信仰の地なので江の島=江島神社です。

【公式】日本三大弁財天・江島神社

日本三大弁財天を奉る江島神社は、田寸津比賣命を祀る「辺津宮」、 市寸島比賣命を祀る「中津宮」、多紀理比賣命を祀る「 奥津宮」の 三社からなる御社です。

ご祭神は、天照大神あまてらすおおみかみが須佐之男命すさのおのみことと誓約された時に生まれた神で、三姉妹の女神様です。

  • 奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
  • 中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
  • 辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)

三女神は仏教と習合して『江島弁財天』とされ、広島湾に浮かぶ厳島の弁財天、琵琶湖に浮かぶ竹生島の弁財天と並び、日本三大弁天に数えられています。

「江島縁起」という絵巻物に記されている伝説が、なんとアニメになっているので貼っておきます。

江の島を歩いているとあちこちに龍が居ますけれど、ほんとは対岸の龍口山から見守ってるんですね。
五頭龍のご加護かどうかは知りませんが、藤沢市はホントに自然災害が少なくて住みやすいところだと思います。

涼しくて温かい江の島

江の島の気温は藤沢の内陸部よりも夏場2度低く、冬場2度高いです。
ほとんど毎日風が吹いているので、夏でもエアコンを付けずに過ごせませす(上の方はね)。夜に窓全開だとちょっと肌寒いくらいです。

ちなみに、駅などでは『江ノ島』の表記を見かけますが、住所としての表記は『江の島』が正式です(1968年に統一)。

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